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 「職を賭して」という言葉が、軽く使われたような感じがする。「職を賭した」から、安倍首相は、どうしても海洋自衛隊でのインド洋での補給活動を継続しなければならないために、国会の承認規定を削除した、給油に限定した新法案を臨時国会に提出するようである。新法案の採決を国会の事前承認とするようである。これは、派遣ありきの戦術なのである。この新法案は、参院では否決されるだろうが、もし、そうであっても、衆院からの法案送付後60日以内に議決されなかった場合や衆院で3分の2の賛成で再可決すれば、成立することになるのである。参議院では、民主党が、多数をもっているので、国会の承認規定を削除した法案に賛成するはずがないために、衆議院ではある程度の審議を掛けたあと、再度強行採決するはずである。参議院では、激しいバトルが繰り広げられ、法案送付後60日以内では採決できないはずである。そして、もし、小泉チルドレンが造反しなければ、この法案は衆議院にまわって2/3の多数で可決するのである。これで、安倍首相は、総辞職する必要がなくなるのである。これが、安倍首相の職を賭しての意味なのである。

 もし、このとおりにすすんだら、間違いなく、世間は怒り出すはずなのである。先の参議院選挙と同じで、「小沢代表をとるか自分を取るかの選択選挙である」と、いったのである。それで、大敗しても、居座るのである。今度は、「職を賭して」成立に向けて努力すると、言ったのである。誰が考えても、職を賭するとは、成立できなかった場合には、辞職するとの事なのである。職を賭して、民主党の小沢代表と真剣に話し合い、そして、自分の正当性を世論に訴えて、何とか成立にこぎつける、それで、成立できなければ、潔く、職を辞する、だれでもが、その言葉からそう思うはずなのである。そこまで、やれば、どこの国からも、日本を非難する声など起きないはずなのである。それは、外交上絶対に言えないはなしになるからである。内政干渉だからである。

 人は、いつか、死ぬときを迎える。どんなに栄華を持った人も、逆にどんな栄華を持たなかった人も、いつかはそのときが来るのである。朝に行ってきますと、平然と分かれた後、事故に巻き込まれて、夕方には、遺体で帰ってくることもあるのである。朝、なんともなかった人が、急に倒れて、そのまま息を引き取ることもあるのである。飛行機事故、列車事故、地震、または、通り魔的犯行に巻き込まれる事等、予期せぬことで、そのまま息を引き取ることは、この世に生きている人、全員に当てはまる事なのである。それは、それで、すんでしまったことなので、当人にとってはどうにもならないのである。というよりも、自分の意識がそこにない以上、そこには、自分が存在していないのである。自分が死んだら、自分にとっての世界はそこで終わるからである。自分は、自分を認識できるから自分なのであって、自分がいない世界など、論理的に考えられないのである。寝ているときの世界がどうなっているか分からないのである。つまり、あとは、残った人が、どう見るかなのである。死とは、常に残った人に対して突きつける問題なのである。どう生きるか、残された命をどう使い切るかを突きつける問題なのである。

 だれでもが、自分の死を考えたくないはずなのである。それは、遠い先、自分にはかかわりのない他人事のようにいつも思いたいものなのである。しかし、寿命が限られている以上、いつか来る問題なのである。それは、ある程度、順番なのである。早いか遅いかの程度の問題はあっても、平均すれば、10−20年の差しかないのである。その日は、確実にくるのである。死んだ後の葬儀は、基本的に生きる人のためにあるのである。だから、その当人には、葬儀のことなど、関係がないのである。その当人にとって、必要なことは、人として生まれ、人として死ぬときの総括が自分で出来るかどうかなのである。人は、過去から未来に向かって流れていく。最低でも、生きていてよかったと思えるような最後を迎えたいと思うのが心情である。命の終焉は、その人の人生のベストな状態でなければならないのである。

 そもそも、法律というものは、何のために存在しているかの問題なのである。法律というものは、はじめからあったものではないのである。社会生活をおくるにあたって、みんなが、仲良くお互いが尊重して生きていられるように、ルールをつくったのである。それが法律なのである。したがって、法律は、最低必要限度守らなければならないルールなのである。もちろん、その基本になっているのが、道徳であり、社会的な習慣であり、もっと根源的なことを言えば、倫理なのである。人間として、何をしてはいけないか、人間としてどうあるべきかという共通のあるべき姿なのである。法律に照らして、どうなるか、モラルに対してどうなのか、もっといえば、倫理に照らして、どうなのかなのである。日本は、罪刑法定主義を取っている。だから、犯罪を構成するには、構成要件を充当しているか(その罰則規定がなければ罰せられないのである)、違法性はあるか、責任はあるのか、それを満たさなければ、罰せられないのである。橋下弁護士が発言をしたよみうりテレビでの番組を私も見ていたが、橋下弁護士は、倫理に照らしてどうなのかを、母子殺害事件の被告の弁護団に向かって、問題提議したのである。もし、おかしければ、懲戒請求を起こしてくださいと、訴えたのである。私は、そう感じたのである。橋下弁護士は、「被告人のために最善を尽くすのは当たり前だが、何をやってもいいわけじゃない」と発言を強化したのである。

 法律の根本には、やはり、条理や情理があるのである。それらを構成するものに、宗教があり、因習があり、文化があるのであるが、そのもっとも根底にあるものが、やはり普遍的な倫理性なのである。仏教でもキリスト教でもイスラム教でもユダヤ教にしても、その根本にあるのは、倫理性なのである。人として、絶対にしてはいけないことがあるのである。山口県光市の母子殺害事件の被告は、その絶対にしてはいけないことをしたのである。この場合には、その被告人は、殺害したことを、事実として認めているのである。争われているのは、本来は量刑だけだったのである。しかし、私の記憶によれば、今度の弁護団は、ドラエモンや神の儀式をもちだして、強姦目的も殺意をも否定して、1審2審の主張を覆して傷害致死罪を主張したはずである。被害者の夫の本村洋さんの心境を察すると、煮えくり返る思いがするのである。愛知女性拉致殺人事件の被害者の母親の声明の一文、「何の落ち度も、関係もない娘に対し、あれほどの異常な行為を行った人間の存在を、私は認めることはできません。絶対に、絶対に、許しません。」が思い出されるのである。それが、人間の情なのである。それが情理なのである。法律は、単なる言葉ではない。その裏には、人としてあるべきすがたが暗黙のルールとして成り立っているのである。欧米法と違って、日本は成文法をとっている。それは、一部の陪審員の主観に流されることがないように、成文で枠をつくり、弁護士、検事が事実関係等を争い、それを裁判長が客観的に見て判断するのである。三審制を取るのは、より慎重に事実を見極めたいからである。

Posted by Airplane designer 2007年09月07日 17:22
航空機の事故が起きるととたんに安全に関するとんちんかんな評論家が沢山現れます。このストップ組み立てをよく研究すればフェールセーフ等と騒ぐような物でないことが分かります。このワッシャーと呼ばれている部品はナット下に使用されるワッシャーとは用途は異なります。単にワッシャーを整備士がつけ忘れただけです。

ボルト一本の管理(中華航空737−800機の炎上事故)のブログに対して上記のようなコメントがありました。
 私は、現場を見たわけではないし、航空機製造メーカーの人間でもない。その設計に携わったものではないので、詳細なことは、不明である。航空機には航空機の、原子力では原子力の、弊社が扱っている高圧機器(300Mpa)には、それぞれの高圧機器の専門部品があるので、その細かい仕様条件は、分らないが、すくなくとも、ワッシャーがなかったために、ボルトが抜け落ち、それが、駆動部に引っかかり、燃料タンクを破損させたことは、事実なのである。ワッシャーの用途として、面圧を高める。ナットのゆるみ止め防止(スプリングワッシャーと共用)、ボルトとナットの抜け止めが考えられる。新聞報道によれば、アームのボアーの径が、ナットの径とボルトのねじの直径よりも大きいために、ワッシャーがなければ、抜け出る可能性があり、実際に抜け落ちていたボルトにはナットがはめられていたそうである。もし、ナットの径がボアーよりも大きければ、このボルトは、落ちることはなかったのである。それは、それで仕方がないのかもしれない。これを設計した人がそれを防止するために、ワッシャーという、小さい、リングを選んだのであるから。それと、私が、言いたいのは、このメカニズムの中でワッシャーを選んだ設計者が、もし、このワッシャーを付け忘れたら、どういうことが起きるか、想像できたかどうかなのである。たぶん、3Dキャドで書かれたろうから、その設計者は、隅々まで情報が誰よりも頭に入っていたはずなのである。駆動部がある。近くには、燃料タンクがある。エンジンからの熱をうけるところでもある。ワッシャーというのは、ほんの小さな部品である。付け忘れることも絶対ないとはいえないのである。(現に付け忘れたのであれば、付け忘れやすいものなのである。)この設計者が一番このワッシャーの重要性をしっているのである。よしんば、これ以外に選択肢がなかったとしたら、この設計者は、リマークとして、安全上、保守管理の際、絶対にこのワッシャーの存在の有無を周知徹底させていたかどうかなのである。単に、整備士が付け忘れたからと、それだけでいっていいのだろうか。人間なのである。間違いがあるのである。だから、マニュアルにきちんとその旨を明記し、保守管理のSOP(保守管理操作手順書)にその旨が書かれていたか、どうかなのである。それだけ重要な部品であったのなら、そこにWチェックがなされていたかどうかなのである。それを一番理解できる人は、それを設計し、それを承認した人なのである。今回は、乗客が全員避難した後に爆発火災が起きたから、よかったのであるが、もし、遅れていたら、乗客の命がなくなったのである。その危険性をいえるのは、その設計者なのである。そのとき、このワッシャーが付け忘れたらどういうことになるのか、なら、もし、何らかの理由でワッシャーが付け忘れても、落ちない構造を考えるのが、スマートな設計者ではないだろうか。それしか方法論がなかったら、それこそ、絶対に整備士が付け忘れないような注意する手立てをとったかなのである。そこまでの注意義務はない。予見不可能なことだといわれれば、それまでだが、これが、中華航空で日本の那覇空港ではなく、アメリカの航空会社で、アメリカの空港で、同じような事故で数名のアメリカ人の命がなくなっていたら、事態はとんでもないことになっていたはずなのである。

 内閣府が8日発表した「国民生活に関する世論調査」によると、日常生活に「悩みや不安を感じている」人は69.5%であった。特に、「老後の生活設計」に対する不安が53.7%で特に多かった。政府への要望も「医療.年金改革」が7割強の数字を示したのである。考えてみれば、今の世情の流れを想像すれば、ますますこの数字は年々上昇するはずなのである。子供が減少し、お年寄りが増えてくる。都会の人口集中、核家族化、地域格差、所得格差による、農村部、地方部の過疎化、その時間の先にある未来像は、誰が見ても想像できるのである。それに追い討ちをかけたのが、年金問題であり、医療費の自己負担増なのである。アパートやマンションにお年寄りの夫婦が、取り残されるのである。健康で、二人同時になくなればいい。しかし、確率的にどちらかが先に倒れるのである。看病ができない。そして、老人の孤独死が、今以上に増えていくのである。

 人は何のために生きてきたのか、または生きるのかを、本格的に考えなければならない時期に来たのである。がんばって、働いて、生きてきて、その結果が寂しい孤独死であったら、その人は、自分の人生をどう評価するのだろうか。晩夏の蝉や蝶が、地面にうずくまって動かなくなり、そして風に消えていくことをよしとするのだろうか。人もまた、無常の風に流される運命だと諦観し、それを受け入れるべきだというのだろうか。少子高齢化、所得格差、年金医療の破綻、地球温暖化による環境悪化等を考えれば、政府や国民が何もしなく、このままの状態を放置すれば、70%の国民は、確実に無縁仏になる可能性は高いはずである。30%弱の人だけが、豊かな老後をすごし、環境のいい、時空間で、息をひきとり、立派な墓石にねむることになるはずである。そんな不平等な世界を気づくために、62年前に特攻で若者が散華したはずではないのである、戦後、復員し、高度成長を支えて、この国のために働いて壮絶に死んでいったわけではないはずである。

 戦後、この国を復興するために、必死で工業化を推し進めたのである。高度成長という名目で、この国は、生産と消費を拡大していったのである。古いものは壊され、どんどん人はふるさとを離れ、都会にでてきて、サラリーマン化したのである。農村は疲弊し、都会が不夜城のようにきらめいたのである。核家族化のために、里山は切り開かれ、ニュータウン化したのである。そして、その子供もそだって、また、分離してひとつの巣をつくるのである。子供がいなくなった市町村も、人の一生と同じように、活気がなくなるのである。若者を呼び込めない町は、高齢者化がすすみ、いずれ、活力がなくなり、ゴーストタウン化するはずなのである。いままでは、それが一代だからいいのである。それが、二代、三代と続いたら、間違いなく、市町村の機能が崩壊してしまうのである。

 残念だが、アメリカの最大手の検索サイトでの翻訳ツールでは、英語から日本への翻訳はある程度できるが、その内容を把握するには、人間の脳での再チェックが必要である。漠然とした意味は分るが、細部は誤訳がやはりあるのである。日本語から英語に関しては、到底、人間の脳にはかなわないレベルである。世界がWEB2.0のブロードバンドでつながり、その言語と文化の壁をPCの翻訳・音声認識ツールを使って、リアルタイムで破ることは、難しいようである。今生きている人が今生でみることは、できないであろう。はっきりいって、日本人として、英語とかかわらず生きていけるなら、それに越したことはないが、残念だが、これから、もっと、かかわらずにはいられない状況になるはずなのである。

 言語は、文化の反映でもある。日本語の中にも方言がある。関西の言葉と東北の言葉では、アクセント、言葉の意味がちがうのである。ただ、文法上のルールが同じなので、なれてくると、何とか分るのである。だから、日本人として、一番学習しやすいのは、韓国語なのである。ハングル文字をマスターすれば、結構、理解しやすいのである。ハングルは表音である。その単語のもともとの漢字での意味を理解できれば、頭に入りやすいのである。(漢字に表されない言葉もあるが、それは覚えるしかないのである。)それと、おなじように、日本人として、次に分りやすいのは、中国語なのである。理由は簡単である。漢字だからである。ほぼ、ひとつの漢字に、ひとつのピンイン(ローマ字発音記号と四声の声調)があるため、それさえ、マスターすれば、文法は英語と似ているため、意外と簡単なのである。日本人にとって、既知の情報としてもっている漢字という共通項をツールにすれば、韓国語と中国語は、それなりに短時間にマスターできるものなのである。残念ながら、英語にはそれがないのである。外来語が唯一単語を覚えるのに役立つかもしれないが、それもたいした効果はないのである。

 だから、日本人が、言語習得期以後に英語を学習するのは、大変なことなのである。言語に共通項がないために、どうしても、効率的に学習することはできないのである。日本人として、日本語を通して、論理が完成されるわけあるから、どうしても、今度、英語が邪魔になるのである。脳の中にある程度のマルチタスクができるまでは、英語を専門にやろうとする以外の人には英語学習が苦痛になるはずなのである。だから、よほど、強靭な精神力を持った人以外は、途中で投げ出す人が多いはずなのである。

 平沼赳夫衆議院議員は、自分の信念を最後まで貫いたのである。それはそれでりっぱである。それに対して、何もいうことはない。それに比べて、今の自民党の歓迎ぶりは、いかがなものであろうか。麻生太郎幹事長は、郵政民営化法案に反対して離党した平沼議員に、昨年12月に中川前幹事長が復党に関して条件を出した誓約書は、とるつもりはないといったそうである。今の自民党を見ていると、まるっきり、右往左往しているとしか、見えないのである。安倍首相は、意気消沈して、自分が見栄をはれる場所だけを探していて、美しい国づくりをめざすと、息巻いていたあのころの真摯な情熱は見えないのである。連日連夜、閣僚や自民党の役職にある議員は、「政治と金」の問題で、それは記入ミスであり、そこに悪意はない、法律に抵触はしていないと、うそぶいているのである。

 いったい、自民党は、いい政治をしていたのかと疑いたくなるのである。自分たちだけにつごうがいい法律を勝手につくり、そのなかで、自分たちが利益を逸しないように、やってきただけだということになるのである。自分たちが絶対に損しないようなルールを自分たちでつくり、そのおいしい利権をすっていただけの存在なのである。そう指摘されてもおかしくないのである。なぜなら、国民に細部の情報が開示されなかったからである。開示しても問題のないところまで、明かせばいいと法律をつくったからである。だから、違反ではないといえるのである。では、あの時の小泉前首相の政策は一体なんだったんだろうか。今の自民党は、郵政民営化法案も含め、小泉前首相が進めた構造改革路線に対して、どう思っているのだろうか。これでは、まったく、風見鶏といわれてもしょうがないのである。小泉前首相が国民的人気に支えられたとき、それがどんな政策であろうが、自分たちの選挙のことだけを考えて、右顧左眄していたにすぎないのである。安倍首相がいいとなれば、安倍首相、万歳といい、参議院選挙で敗北をすれば、安部首相の責任だ、軌道修正だというのである。小泉前首相は、これでいいと思っているのだろうか。小泉チルドレン達は、一体何を考えているのだろうか。一年以内に間違いなく衆議院選挙がある。バブルで当選した小泉チルドレンたちは、間違いなく、90%以上は落選する。比例区で当選した議員は、次はないのである。その人たちは、選挙後の人生をどういきるか、今の地位を利用して、せっせと次の商売の種を探してでもいるのだろうか。なぜ、小泉チルドレンたちが、離党して、ひとつの政治団体をつくらないのだろうか。次がないのであるから、今の自民党をくさっていると否定したほうが、まだ、次の選挙に当選できる可能性がのこっているのであるから。

 私は、現時点で株式会社美粒の代表取締役である。それと、音レス高圧乳化装置NANO3000や泡レスミキサーの発明者であり、特許権利者でもある。やっと、両方のパテントがアメリカでも下りたのである。私どもは、大阪の青山特許事務所をつかっている。両方のパテントのアプリケーションを書いてくれたのが、昨年、日本弁理士会会長に立候補し、その志、半ばでお亡くなりになった故河宮治先生であったのである。たぶん、私の特許が、先生が一担当者として書いてくださった最後のアプリケーションだったかもしれないのである。アプリケーションを書かれているとき、先生から、電話があったのを覚えている。「これは、こういう意味なのか」「先生、それは違います。これとこれを足して、こうなるんです」「あっ、そうか」「先生、これは特許が下りるでしょうか」「減圧という考え方はあるが、多段に減圧するような考え方はいままでにない。これは原理特許だから、まず、下りるだろう」そういってくれたことを覚えている。アメリカ、日本、ヨーロッパ、韓国、中国と先生の指示どおりに国際出願したのである。基本は、多段減圧モジュールの特許と泡レスミキサーの特許であり、現時点で、日本とヨーロッパの多段減圧モジュールの特許が下りるのを待つだけとなったのである。アメリカの特許の登録料を払うように指示したので、数ヶ月以内には、アメリカで公開されることになるはずである。

 私は、日本人である。だから、日本の企業を優先したのである。韓国から売ってくれ、アメリカに紹介させてくれと色々な提案はあったが、ことごとくそれを、断ったのである。装置メーカーは、実に悲しいものなのである。装置は一回売れば、それで終わりなのである。莫大な利益が上がるのは、装置を購入したユーザーなのである。我々の装置を使って、安定した注射製剤が出来るようになった会社もあるのである。複数の会社は、企業の営業努力もあるだろうが、それでも多大な利益を得ているのである。当初、いろいろと高圧的な対応をしていた会社もあるが、利益が出て、体外的にその会社の名前が認知されだしたら、紳士的に対応してくれるようになったところもあるのである。新しい原理の装置購入は、テストが前提となるのである。ほんものかどうか分からないからである。最近は、テスト段階から、すべて秘密保持契約を締結させられているのである。企業名、処理物、その会社が何をやったかさえも秘密にされるのである。情報は一切クローズにされるのである。装置メーカーとしては、辛いところなのである。それは、それで、いいのであるが、日本では、倫理感のない大手の会社があって、カタログや資料を基にしてさっさと、特許を書いて、(さすが審査請求はしないが)その装置を現実的には売らせなくするのである。購入すればいいのであるが、購入しないところもあるのである。その特許を書いた言い訳は、相手が先に書かれたら使えなくなるので書いただけだというのである。装置メーカーが、先に特許で防御しないから書いただけだというのである。もっと、ひどいことをする大手の会社は、機械を一台購入するのである。現場には、絶対に立ち入らせないようにするのである。なぜなら、それを全部ばらし、コピーして自社内で同じ機械を作るからである。その言い訳は、装置のハードを自分たちにあったものに変えたいからというのである。そのノーハウをばらされたくないからというのである。そんなとんでもないことをする会社もあるのである。名前をいったら、あっという会社ばかりなのである。これがアメリカであったら、莫大な損害賠償を請求されるはずなのである。

 台風9号が、関東に向かっている。40.9度を観測した後の台風である。その挙動が心配される。台風の基本的のメカニズムは、潜熱とコリオリの力で説明できるのである。潜熱とは、聞きなれない言葉かもしれないが、物の状態が変化するときに、熱を出し入れする熱量なのである。水が蒸発するとき、液体が気体に変わるとき(相転移)、周りから熱を奪う現象なのである。夏の暑いとき、打ち水をすれば、その水は蒸発する。そのとき、回りから熱を奪うため、周りの温度が下がるのである。暑い夏の京都の風物詩でもある。海水の温度が26度以上あれば、その海水面は、太陽の力で熱せられるため。どんどん気化して周りから熱をうばうのである。そこで、激しい上昇気流がうまれるのである。速度が速くなれば、今度は、温度が下がり、水蒸気となり、それが凝結し細かな液体の粒になるのである。そのとき、今度は、熱をまわりに放出するのである。氷から水、水から気体に水が相転移するときは、熱を奪い、逆に、気体から水、氷となるときは熱を放出するのである。それが潜熱なのである。空気は、水分を出したので、軽くなり、さらに上昇するのである。だから、台風の目は晴天であり、その周りに巨大な積乱雲が発達するのである。そして、地球は回転しているため、コリオリの力といって、回転と逆な方向へ渦が形成されるのである。回っている円盤にビー玉を転がせば、ビー玉はまっすぐいこうとするが、上からみているひとは、視点が円盤にあるため、回転と逆な方向へ流れるようにみえるのである。だから、北半球では、反時計回りに渦が形成するのである。中心部では、上昇気流があるために気圧が下がるのである。上昇した空気は、どこかで速度が減衰し下降しなければならない。それがひとつの対流になるのである。水が入ったなべを沸かせば、その水が対流するのと同じ原理である。

 台風は、運動している。もちろん、エネルギーが補給されるから運動はとまらないのである。人間も食べ物をとらなければ死ぬのと同じである。それは、暖かい海水からそのエネルギーが補給されるのである。だから、海水の温度が高いところを台風は逆に通るのである。40.9度を観測したのは、高気圧が大きく張り出したため、その周りに雲が発生し、その高気圧内部の熱を閉じ込めたのである。水蒸気は、温室効果ガスでもあるので、熱を逃がさないのである。上に温室効果ガスある。熱を逃がさない効果を生むのである。まさしく、サウナ状態だったのである。その高気圧が東にさったので、台風は、日本列島を通ることになるのである。温暖化の影響は、海水の温度上昇と、上空にある温室効果ガスのダブルの効果を台風に与えるのである。上から熱が逃げないため、エネルギーが局所的に集中するのである。同じエネルギーでも、1のエネルギーを10に分散するのと、10のエネルギーを1に集中するのでは、被害が桁違いに違うのである。まさしく、台風のゲリラ化が始まるのである。台風から離れていても、温室効果ガスで熱が逃げないため、その湿った気流は遠くまで届くのである。それが気流の乱れとなって、局所的な積乱雲を形成し、断続的な雨を降らせるのである。スコールと同じなのである。地球温暖化を阻止しないと、ますます、この現象が多く発生することになるのである。台風9号は960ヘクトパスカルである。それほど、強くはないが、局所的には、激しい嵐となるのである。いずれ、900ヘクトパスカルの巨大台風が日本を襲うときがくるだろう。それは、もっと、広範囲な嵐になるはずなのである。

 台風が近づいている。運命は、残酷なものである。確率的に、必ず誰かが死んでいるのである。今日生きていた人が、台風で命を落とすのである。落とした人は、今、自分にその運命が来るとは、思っていないのである。自然災害は、どうしようもないのである。特に地震は、マクロの地殻現象であるから、避けることはできないのである。しかし、台風の巨大化は、温室効果ガスもその一因なのである。エネルギー(熱)が上から逃げれば、その力は、減衰しないのである。海水からはどんどん補給され、それが減衰されない状態であれば、強い勢力を保持したまま、日本列島に近づくのは当たり前なのである。そのために、人命が失われ、自然災害が発生し、農作物に大打撃を与えるのである。巨大な損害を被るのである。地球温暖化で、砂漠化し、農作物が減少する。その農作物が、災害でやられるのである。間違いなく、数十年以内には、世界的な食糧危機が勃発するに違いないのである。40.9度の影響は、必ず農作物に影響を与えるのである。後、数十年以内に、デジタル家電や車や化粧品や嗜好品での消費動向よりも、食料品に対しての消費動向の方が、より重要になるはずである。デジタル家電や車や化粧品や嗜好品よりも、生きるための食料品に目が向くはずなのである。トヨタや松下や資生堂が、食料品を作るメーカーになってもおかしくないのである。これからは、地球温暖化阻止と食料品確保が、国家の最重要安全保障になるはずなのである。市場経済も将来は食料品関連に資本が流れるはずなのである。本当に空しくなるが、台風が近づくところの誰かが、間違いなく誰かが、命を落とすのである。

 新聞報道によれば、「市区町村の職員の着服が49件、約2億円、社会保険庁職員による横領が50件、約1億4000万」が調査でわかったというのである。同じ日本人として情けなくなる思いである。とにかく、ばれなければ、何をしてもいいという体質がこの国にはあるようである。そして、この国の役人には、倫理感や道徳など、まるっきりないのである。戦後62年たって、噴出してきた日本人の弱さの象徴でもあるのである。これは、まさしく、アメリカの影響なのである。アメリカのある一部分だけを取り入れ、自分たちに都合のいい解釈をしただけなのである。アメリカのやり方がいいとは、いわない。しかし、アメリカと日本とは、考え方や感じ方が根本的に違うのである。双方、良い所と悪い所があるのである。今の日本は、アメリカの悪い所と日本の悪い所が、出てきた状態なのである。アメリカは、依然としてアメリカなのである。悪い所と良い所が混在している国なのである。双方のよいところは、やはり、精神性なのである。自立に視点を置くか、連帯に重点をおくかの違いなのである。双方の悪いところは、わがままと隠蔽性なのである。だから、今の日本には、わがままと隠蔽性が強く出てくるのである。そこに倫理感の欠如が重ねれば、最悪な状態になるのである。

 アメリカは、基本的に個人主義の国である。自立心がつよく、わがままなところがあるのである。だから、明確なロジックがなりたたなければ、負けるのである。そのロジックの明文化がルールなのである。明快なロジックからなりたつルールである。だから、公開するのである。その下では、だれでもが、平等なのである。だから、アメリカ人が嫌うのは、フェアーではないことなのである。なぜなら、そのルールの下では、平等であるべきであり、その平等を排他するものは、すべてアンフェアーなのである。フェアーかどうかは、そこに普遍性ある(彼らの文化に照らして)ロジックが成り立つかどうかなのである。そこに現実的なものがなければ、そのルールを現代にあったものに変えなければならないと思うのである。そうやって生きてきたのである。日本は、そうではないのである。ルールは、単なるルールであり、それは単なる目安なのだと考えるのである。そこにばらつきがあると考えるのである。日本人がすきなのは臨機応変や柔軟性なのである。だから、アメリカ人がもし、日本の憲法9条のような戦争放棄のルールを作ったなら、絶対に自衛隊のような軍隊を持つことはないのである。もし、どうしても作らなければならない必然性が彼らの普遍性のあるロジックから出てきたのなら、そのルールを真っ先に何のためらいもなく変更するはずなのである。そして、どうどうと自衛隊を作るはずなのである。だから、アメリカは、執拗に自衛隊が生まれたときから、日本に憲法改正を要求したのである。しかし、サンフランシスコ講和条約により、日本に自治が戻った以上、アメリカの普遍性のあるロジックからは、求めることはできても強制することはできなかったのである。

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