がん免疫療法への期待をこめて

 時間の経過とは、残酷なものである。無為に過ごせば、自分は同じところにいるつもりだが、時が勝手に下がっていくように感じる。そうして自分と時間とを相対的にみれば、あっという間に5年、十年の月日が流れてしまっている。むかし、あるところに、ある装置を入れたことがある。8年以上前である。人生とは、本当にどこで、再度の巡り会わせがあるかわからない。その装置は、その製剤の開発やサンプルのため、色々なところを転々とした。自分も関ったものであるから、ずっと気になっていた。もちろん、大学の薬学部に別な機械はあったから、そこで、納入前に評価してもらったことは当然である。実に多くの人が関与している。

 

 それは、がん免疫療法剤である。ご存知のように、日本の製薬会社は、色々な意味で、単独では立ち行かなくなった。合併、合併である。いい薬をつくれば、利益は後でついてくる。それが本来の姿である。薬は、やはり、医と強く結びつく。どこかで、利他の精神がなければ、やっていけない。しかし、市場経済の中に、製薬企業も巻き込まれ、利益を追求しなければ、会社それ自身が立ち行かなくなった。多くの研究者も技術者も、利益の追及に同調せざるをえない。しかし、心のどこかに、自分たちが信じた心根が残っている。がん免疫療法剤も、合併、合併の際に、切り捨てられたもののひとつだったのである。営利団体の民間の企業としては、ある意味、やむを得ないのである。利益が生まれる薬を作ることが、民間企業としては、ある意味、正しいことだからである。

 

 そのがん免疫療法剤を忘れることができない研究者や技術者がいた。会社をでて、自分たちで仲間を集い、世のために、会社を設立した人達がいた。もちろん、それぞれの人は、それなりに立派な経歴と肩書きがあり、そんなリスクを犯さなくても、生きれる人達なのである。なぜ、そこまでして、やるのか、それは、たったひとつしかない。これを世に出し、ある程度の医療として確立できれば、死んでいく人を助けることができると信じたからである。利他の精神そのものである。その人達が私のところに訪ねてきた。機械のメンテは大丈夫ですかということである。もちろん、大丈夫です。私の中に、10年の月日がつながった。私に出来ることがあればいってくださいとお願いした。

 

 免疫療法は、心理的な要素がつよい、自分で自分を治すことが基礎になるからである。これは、ある意味、乱れを押さえる私の考え方に近いのである。そして、医は仁なりというように、お医者さんとの信頼関係が、その療法の効果を左右するのである。だから、名医といわれているところに、藁をすがる思いで患者さんは集まるのである。確かに、物理的化学的な療法で、がん治療するのは、見るのにしのびがたい、痛さに耐え、モルヒネをうつ。若い人ががんで死んでいくのは、耐え難いものである。

 

 どうなるのか、わからない。しかし、世の中には、利己を抑圧し、利他のためにがんばろうとする人がいる。そこには、人の心の美しい秩序がある。美しいリズムとメロディの音楽、そのものであるようである。

 

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このページは、中野満が2008年9月12日 13:34に書いたブログ記事です。

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