昨日、あまゆずさん(濱田由美子さんと寺内章華さん)と会いました。

NEWP9084603.JPG 仕事の関係で、若い女性のアーチストのあまゆずさん(濱田由美子さんと寺内章華さん)とあった。美しい微笑みであった。その微笑は、人を和ませると感じた。ふたりとも、とても、いい子だと率直に感じた。ほんとうに、笑うのはいいことである。花のように、光に映えて、ゆらゆらと風にふかれていればいいと思う。自分を忘れて、晩夏が消えかかる初秋の日差しに溶け込んで、その穏やかな一瞬の中に潜む永遠のなかに、消えていけたらいいと、感じる。このふたりの若い女性にも、これから色々なことが起きるだろう。いいことばかりが人生ではない、哀しいことも苦しいこともあるはずである。しかし、きっと、にこやかに笑って、この世がもつリズムとメロディーに同期していけば、彼女たちに幸運が下りてくるのではないかと感じる。

 

 人は、それぞれ、哀しいほど、強い自我をもつ。だから、人それぞれが固有の宇宙をもつ。だから、私はあなたになれないし、あなたは私になれない。それはわかっている。しかし、それに固執すれば、必ず誤解が生じ、対立が出てくる。そこに、人間の醜さをみることになる。笑うのがいい、そうすれば、緊張と変な構えは消えてくる。笑うのがいい、そして、リズムにのって、踊ればいい、ドラムのビートの中に、身を任せれば、緊張はとけて、人の本来の美しさと優しさが出てくる。修羅や夜叉の顔ではなく、それは弥勒菩薩の微笑みに近いはずである。そうかもしれない、あまゆずさんの笑みは、薬師如来の日光、月光菩薩像の微笑なのかもしれない。彼女たちの笑みが奏でるリズムに自分を合わせていけば、そのまま、眠りにつけそうである。それは母親の子守唄に近いのかもしれない。そこは、争いもなく、みんながひとつであるということを夢みれた世界なのかもしれない。

 

 たぶん、本当は何も変わらない。人は、ぽつんとうまれ、ぽつんと消える。その中のうたかたに、人は悩んだり苦しんだり哀しんだりする。もちろん、いいことばかりでもない。愛するものとのわかれもある。だからといって、虚無になる必要もない。その人生という階段の先が、奈落であると考える必要もない。その先が、消えてなくなるというイメージを持つ必要もない。あえて、自分の命を悲観させる必要もない。自分の小さな自意識で、自分の命を壊す必要もない。

 

 なにげないところに、ぽっと花が咲いている。こんなところにも花があるんだと感じる。あまゆずさんを見ていると、そんな気持ちになる。きっと、このアーチストは、みんなから愛されて大きくなるんだろうなと感じた。

 

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このページは、中野満が2008年9月 9日 10:35に書いたブログ記事です。

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