外国人観光客を本気で日本に呼寄せる気が政府にあるならば、

 たぶん、世界に羽ばたいて、世界をまたにかけている欧米のビジネスマンにしても、日本だけは、一人で移動し、一人で仕事を進めることができない国である。その人が、日本語を十分に理解し、十分に使いこなせなければ、まず無理である。英語がある程度できれば、日本人であっても、中国や韓国や台湾を一人で移動して商売することはできる。現に、多くの欧米企業のビジネスマンが、中国や韓国にいって、商売をしているからである。日本の総合商社の人の中でも、ハングルまたは中国語ができて、しかも英語が堪能な人など、そんなにいるわけがない。ハングルは、文法が日本語と類似しており、ハングルの単語も漢字で明記すれば、それほど抵抗がないはずである。中国語に関しては、ピンインと四声だけ、分かれば、漢文の力で、なんとかなる。中国語の文法は、どちらかといえば、英語に近い、だから、本当に、ピンインと四声だけを短期特訓すれば、意外と短期間に中国語はマスターできるのである。日本人にとって、一番難しい言語は、やはり英語なのである。ハングルや中国語の方が、断然、日本人にとっては易しいのである。逆に、当然に、欧米の人にとっては、日本語は難しいと感じるはずである。漢字であっても、日本語の漢字は中国語のように、ほぼ一対一に音と文字とが対比していない。その漢字がどういうふうに日本に伝わってきたかによって、その発音が変わるからである。逆に漢字の発音がわかれば、それがどこからどのように来たかが分かるのである。もし、私が外国人なら、こんな複雑怪奇な言語を学ぶ気には到底なれない。同じ、漢字を学ぶのであれば、中国語を学ぶようになるだろう。

 

 北京オリンピックが開催され、多くの外国人が中国を訪れたであろう。中国語が話せなくても、片言の中国語と英語だけで、たぶん、中国の主要都市や名所旧跡をひとりで旅することはできるはずである。もちろん、旅なれた欧米のビジネスマンでも、一人で日本を移動することはできない。しかし、日本を一人で旅することができる人たちがいる。それは中国人である。もちろん、中国の簡体字の決まりが分かれば、日本人も中国を旅することができる。なぜなら、漢字がわかるからである。韓国にいっても、よくわからない。しかし、ハングルの音から漢字を想像できれば、韓国の町が一変する。日本と変わらなくなる。

 

 中国と韓国と日本は、漢字という共通した文化があるのである。日本でも漢字検定があり、漢字熱が強くなっている。なぜ、中国政府と韓国政府と協議して、同じ漢字を使用しているなら統一コードを国家を挙げてつくらないのかである。ピンインを共通化すればいいのである。それぞれの国の初等科で、漢字を学ぶとき、中国語の普通語の発音、ハングルでの発音、日本語での発音を教え込めばいいのである。初等科である程度やれば、ハングルに興味を持てば、中学校でもっと深く学べばいいのである。中国語も学べばいいのである。それを教えることで、より一層日本語の多重性が見えてくるはずである。日本語は、難しい言語であることを認識すべきなのである。

 それにより、中国にしても韓国にしても、日本に対しての親近感がもてるはずである。シルクロードの文化は、長安(西安)、北京、朝鮮半島をとおって、日本に入ってきた。その到着点は、大和の国なのである。ギリシアやローマから出てきた文明は、それぞれ経由した国の文明に影響を受けながら、北方ルール、中央ルート、南方ルートを経由して、最後には、日本で合流したのである。文化のるつぼが日本なのである。そして、日本の風土の中には、色々な国の原形となる民話や神話が残っているのである。だから、日本のいたるところに、ユダヤ教の名残もあるし、キリストの墓らしきものまで伝承されているのである。小泉八雲ではないが、日本にすめば、その文化の特異性に興味をしめし、その日本というものに取り付かれるはずである。

 

 英語教育を受けても、日本人には英語は話せない。読み書きは出来ても、話せないし、聞き取れない。それをはっきりいって、無駄だと割り切ったほうがいい。日本人全員が、バイリンガルで話せるのならいいが、そうでなければ、英語と日本語との距離が離れすぎているため、日本人が、相手が日本人の顔をしても、その人がバイリンガルに振舞うのを感じれば、その人を異質な人間としてみる。その人が、いかに流暢な日本語を話しても、日本人の何かがない人間としてみてしまう。日本の閉鎖された社会では、それにより、差別やいじめが発生する場合がある。中国人は、まだ英語が話しやすい、文法のロジックが英語と似ているからである。やらないより、やったほうがいいが、無理に、日本人は英語をやる必要がない。外国人も訳のわからない英語で話しかけられるよりはほっといてもらったほうがありがたいはずである。

 

 無理に英語はやる必要もない。しかし、日本語流の英語はやったほうがいいはずである。特に、地方へ行くと、英語が出来る人の需要がでてくる。若い人に英語を教えても意味がない、教えるなら、地方のおばちゃんに英語を教えるべきである。ブロークンでいいし、発音も日本語式でいい、とにかく、暇だったら、市町村の公民館でもいいから、英語を教えたらいいのである。もし、その村に日本語の分からない外国人が訪れて、道に迷って困っていたときに、英語をまなんだおばちゃんが、May I help you と話しかけたら、その外国人はたまげるはずである。そして、そのおばちゃんが、日本人らしく、親切にいろいろと世話をやいたら、その外国人は、一発で日本が好きになるはずである。その人が祖国に帰っても、日本はいい国だ、日本はとてもすばらしいと回りの人にいうはずである。大手の家電企業や自動車会社は、自分たちの商品の小さなブランドを売るよりも、日本というひとくくりで商売をする心根が今後再度必要なはずである。

 

 文化交流とはこういうところから始まるものである。外務省や文部科学省のように、大上段にふりかざして、観光庁らしきものを作ろうとしても、税金の無駄遣いのはずである。つねに、費用対効果、投資に対するリターンは何なのかを考えて、政策を打ってもらわないと、日本は本当につぶれてしまうのである。

 

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このページは、中野満が2008年8月27日 14:30に書いたブログ記事です。

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