人生50年の中で、若者はどうこれから生き抜くか。

「人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」これは、織田信長のお気に入りといわれた「敦盛」の一節である。10代や20代の若者から見れば、人生50年の50年は、遠い先の話であり、そんなこと関係ないと感じるだろう、そのとおり、遠い先、今まで生きてきた倍よりももっと先の話なのである。両親が、その年代になっているかもしれないし、なってなくても、近々にはその年齢に達する。時間は平等に流れる。客観的にみて、10代の人と30代の人と60代の人がいれば、その人達にとって、一日は同じ一日である。その人達にとって、一ヶ月は同じ時間が過ぎる。しかし、主観的にみれば、10代の人が感じる時間の経過と30代の人が感じる時間の経過と60代が感じる時間の経過は、違うのである。歳をとれば、指数関数的に、時間が経過する感覚が短くなるのである。だから、30代を過ぎれば、俗にいう、歳は、坂道を転げるように早くとるというのは、そこから来ているのである。無為に過ごせば、無為に人生が終わってしまうのである。

 

 生命を受けているもののこの世でのひとつの使命は、命を子孫につなぐことである。そこに、どんな理由があるか分からないし、何かしらの約束があるわけではない。しかし、人間もひとつの生命体の進化したものであれば、命をつなぐことが、何かしらの、使命であるように、感じられる。それが、細胞を復元できるDNAの中に、組み込まれているのかもしれない。そのために、時間と空間を共有したいと思う人が現れ、その人と、子孫を作ることになる。それが、子供である。人が親になるということである。それからが子育てとなる。最低でも10年、20年近くは掛ることになる。子育ては、ある意味、親の責任である。そうして、20年近くの年月が、あっという間に過ぎてしまうのである。

 

 そう、人生50年、やれやれとおもって、過去を振り返れば、そのくらいの時間が経過しているのである。世の中は、サイクルである。ある周期をもって動いている。どうしてだか分からない。エネルギーが何故あるのかという問題と同じである。少子高齢化である。子供がへって、老人が増えていく。老人も永遠に生きてはいかない、子供が減っているから、どこからか、人口は減り続ける。少子化が同じペースですすめば、加速度的に人口は少なくなる。いづれ、日本語を伝承できる人がいなくなれば、文化と同じように、日本人はこの世からいなくなる。たぶん、そういうことは、ありえないので、どこからか、反転する。つまり、少子化に歯止めがかかり、子供が生める社会になるということである。それがいつ来るか分からないが、社会が、それを求めるときが、今後100年以内には必ず来る。

 地球温暖化は、ひとつの象徴である。時間軸の中で、無秩序、乱雑さの方向へと世の中は開放され、その方向へとすすむ。人間が文明を謳歌し、自由を高らかに主張し、市場経済の中で、我先に我先にと、欲望を満たす方向にすすめば、地球は温暖化の方向へとすすむ。だから、今、地球全体で基準値を作り、地球全体で、総量を規制しようとしている。もはや、自由と市場経済を無制限に開放することが、許されなくなった。いずれ、必ず、恐ろしいことが起るはずである。エネルギーの総和は決まっている。人間、ひとり一人消費するエネルギーが増えれば、どこかでパンクする。つまり、エネルギーの総量を抑えて、しかも、自由と欲望を肯定させることを考えれば、人口を減らすことしか成り立たない。格差社会を作り、多くの人がエネルギーを消費しない階級を作り、少数の人が今以上のエネルギーを消費できる階級を作ることを欲深い人達はかんがえるはずである。

 

 これは、暴動を生む。昔のような階級間の対立が生じ、社会はますます混乱する。ネット社会であるため、だれでも、その気になれば、爆弾が作れる時代である。そういう不安定な社会は、ネット社会では成立しない。民主主義国家であるため、そういう不平等な世の中は成立しない。これから、社会がどう動いていくか、注目するほうがいい。そして、今後しばらくは、世界の注目は、中国に集まるはずである。あの現世利得の中華思想の多民族国家、日本とは対照的な個人主義の塊の人たちである。それが13億人もいるのである。中国があれだけの経済成長を遂げたのは、中国共産党が押さえ込んでいるから出来るのである。もし、中国がもっと開かれた国であり、そして、もっと西側の自由が許容されるところならば、中国は、間違いなく地域、地域で分裂し、今の省がひとつの国家として、ばらばらに機能しているはずである。中国はいまでも三国志そのままの世界なのである。自由にエネルギーを増やして、もっと自由にすれば、それは、無秩序になる。逆に、自由を外から押さえつければ、窮屈になり、不活性になる。あれだけのばらばらなものをひとつの国家としてまとめていくには、それなりの力が中央に必要なのである。

 

 いずれにしても、人生は50年だと、割り切るのがいい。その50年の中で、何ができ、何ができないのか、よく考える必要がある。西郷隆盛、49歳、大久保利通、47歳、木戸孝允 44歳で死去している。石原裕次郎氏 52歳、林家三平氏54歳、美空ひばりさん52歳でなくなっている。もちろん、大器晩成の人もいて、50歳から、花が開く人もいる。何も考えないで、時代に流されていると、あっという間に50歳になる。20歳の若者も30年のあとには、50歳である。30年後、あきらかに、地勢図は大きく変化している。人生は50年、そう考えて生きるのがいい。「人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」の歌詞にポップなリズムをつけて、口ずさんでいきるのも、いいかもしれない。

 

 

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このページは、中野満が2008年8月26日 13:57に書いたブログ記事です。

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