地球温暖化防止の中でのグローバル市場経済は江戸時代化となる。

 経済は、需要と供給があって、初めて成り立つ。それが飽和したら、そこからは動かなくなる。石油もいつか枯渇する。どこかで、ガソリン車は、消えてなくなる。経済は、需要と供給があって、はじめて、その場の中での差が生じる。差があれば、物は動き、それによって、貨幣も動く。温度は高いほうから、低いほうに流れる。エネルギーの高いところから、低い方にながれる。ある意味、経済も同じである。貧しい国があるから、豊かな国が存在する。そして、貧しい人たちがあるから、豊かな人が存在する。歴史をみれば、戦争により、貧しい人が、豊かな人を倒し、その豊かさを享受する。いずれ、その貧しい人が豊かになり、また、その豊かさにおぼれる。そして別な貧しい人たちが、それを奪い返す。歴史とは、ある意味、闘争の歴史でもあった。

 

 驕れる平家久しからず、栄枯盛衰の理でもある。繁栄は3代はなかなか続かない。豊かさになれて慢心するからである。徳川幕府が15代、260年間も、続けられたのは、鎖国政策で、国を閉め、色々な諸法度により、個人のエゴをある程度押さえることに成功したからである。ある意味、武士道とは、個人のエゴを適度に押さえつける手段でもあった。日本でも世界でも、権力闘争とは、おぞましいものである。豊かに生きることが出来るというのは、逆に言えば、豊かに生きることが出来ない人がいることを意味する。人の欲望は、ある意味、底なしである。その豊かさをもっと、豊かにし、それを永久まで、己や己の身内だけで、確保しようとする。その身内感覚が、国家まで広げれば、国家、民族間の闘争となる。豊かな階層の人は、まず、己の豊かさを確保する。そして、その残りを他の人に分配する。社会の生産性における利益と分配率が、ある一線を越えると、必ず暴動がおきる。ある一線を越えると、政権がひっくり返るはずである。

 

 日本には、二つの奇跡がある。それは、明治維新と太平洋戦争の戦後である。明治維新は、徳川と薩長連合体の権力闘争である。政権交代で、江戸城が無血で開け放たれたことはめずらしい。明治維新は、ある意味、革命である。豊臣家が、大阪夏の陣で崩壊したとき、大阪城はやかれ、豊臣の中で、優雅を誇っていた女性たちは、徳川軍の野兵に、略奪、強姦、殺傷されたのである。戦国時代であれば、それが当たり前である。だから、辱めを受ける前に、女性たちは、自害したのである。それが歴史である。明治維新での混乱、敗戦での混乱が、少なかったから、日本は、明治時代から、欧米の植民地にならずにすんだのである。明治維新のとき、各地で政府軍と旧幕府軍との戦いはあったが、錦の御旗をひっくり返して、新たな政権を樹立できるほどの力はなかった。あくまでも、旧幕府軍の意地における抵抗であった。たしかに、江戸時代260年の中で、日本人は変化したのである。それ以後とそれ以前では、規律や秩序に対する考えかたが違うのである。ある意味、剣をもつ武士が、戦う場を失ったために、剣を人殺しのツールよりも、己を鍛え上げるツールとしてみたのである。剣で人を殺傷するよりも、腹きりで切腹するほうが、江戸の太平の世の中では、多かったはずである。

 

 江戸時代以前には、相手を取り潰すには、戦って、相手を倒さなければならない。しかし、強大な徳川体制を引いた後は、諸般の藩が、徳川に逆らえば、徳川の力でもって、取り潰しや改易も可能だったのである。徳川が大切にしたのは、秩序なのである。その秩序が緩むことをおそれたのである。隠密や目付け、色々な闇の組織、いわゆる今の公安の動きをした部署や組織もあったはずである。それがいいことなのか、悪いことなのかはわからない。しかし、江戸時代が260年も続いたのは事実であり、江戸時代も実質的には、薩長に倒幕されたのではなく、あくまでも、大政奉還をして、政権を朝廷に奉還したまでである。

 

 地球もある意味では、孤立系であり、江戸時代の鎖国と同じことが言える。グローバル経済の行き着く先は、日本の江戸時代のようなシステムが地球規模で起きるはずである。もし、そうなっていなければ、どこかで、核兵器の打ち合いがあり、人類は、どこかでいなくなっているか、地球の上に緑が復活し再度住める環境となるまで、もぐらのような原始共産制の生活を余儀なくされるはずである。

 

 いずれにしても、地球には、地球温暖化という重石があり、これ以上、時間当たりの熱量を多く出すことはできない。つまり、この市場経済にも、どこかで限界があるということである。永遠に発展をし続けることはないのである。エコロジーはあくまで、片付けである。市場経済の膨張に対してエコロジーで抑えていることになる。ある意味、エコロジーが、江戸時代の秩序と同じ力なのである。つまり、エコロジーを強化することは、時代を逆流することにもなる。

 

 そして、繰り返すが、社会の生産性における利益と分配率が、ある一線を越えだすと、その社会の秩序がひっくり返ることになる。金持ちはより金持ちになろうとする。多くの人が、豊かになろうとする。しかし、現実には、格差が増えている。この格差が止まらず、年々拡大していけば、必ず政権はひっくり返る。金持ちは、より金持ちになってはいけないのである。そこそこでとめないと、すべてを失うことになる。秩序が壊れるからである。このまま、格差是正に歯止めを掛けられなければ、自民党の政治は確実に終わる。政権が変われば、金持ちが大金持ちになれないような政策を行い、富の再分配が行われるはずである。そうしなければ、暴動が起きるからである。そして、グローバル経済をみれば、どう考えても、後何百年後には、江戸時代と同じようなシステムが起きているはずである。もし、そうなっていなければ、地球はすでに終わっていることになる。

 

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 地球温暖化防止の中でのグローバル市場経済は江戸時代化となる。

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.nano3000.com/cgi-bin/movabletype/mt-tb.cgi/437

コメントする

このブログ記事について

このページは、中野満が2008年8月18日 13:31に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「中村中さんの「風立ちぬ」と堀辰雄の小説「風立ちぬ」の共通項」です。

次のブログ記事は「福田首相かそれとも麻生幹事長が、徳川慶喜になるのか?」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.0