禁煙を持続するには、ジョギング(走ること)を継続すること。

 禁煙は、難しい。長期間、喫煙を続けた人ほど難しいはずである。なぜなら、ニコチン中毒にかかっているからである。だから、頭では分かっているけれど、脳が要求するのである。禁煙を会社ぐるみで実践しているところは、会社全体を禁煙にし、一切の喫煙ルームを置かないそうである。そうなれば、勤務時間に、外にでて、ぷかぷかとは出来なくなる。都会では、路上でタバコを吸う事が禁止されている地域もある。そうなれば、会社員は、現実的に吸えなくなる。勤務時間内に、職務放棄し、たばこがすえる場所をさがし、ぷかぷかとすれば、査定に影響する。他人の目も気になりだす。そうなれば、たばこを放棄せざるを得なくなるのが現状である。すえない状態が続けば、禁煙せざるを得ない。

 

 会社のトップがタバコを吸わない人であれば、その会社の従業員は、たばこをやめるようになる。なぜなら、もともと、たばこを吸わない人であれば、たばこの煙それ自身を嫌うからである。そして、今は、たばこを吸わないことが一般化されつつある。会議室には灰皿はないし、工場でも、タバコが吸えるところは少ない。これも、たばこがすえなくなる要因である。上が、タバコを吸わなくなれば、その下のひとは、当然に、たばこが吸えなくなる環境になる。上司に、酒を連れて行かれれば、上司がたばこを吸わない人なら、部下は、必ず遠慮して、たばこを吸わないはずである。接待でも、お客さんがたばこを吸わない限り、自らたばこを先に吸える営業マンはいない。今は、お店でも禁煙と喫煙を分けているから、営業マンは、お客さんに、おタバコはお吸いですかと聞くはずである。そのとき、禁煙でといわれたら、その営業マンが、愛煙家でも、その場では、たばこは吸えない。もし、すったら、その営業マンは、営業失格である。逆の立場であった場合、お客が愛煙家であれば、営業マンがたばこを吸わなくても、それに耐えなくてはいけない。それが、仕事であるからである。

 

 たばこが、害になるのは、ニコチン中毒になったときからである。ニコチン依存がなければ、たばこは止められる。吸ったり、吸わなかったりすることができる。必要がなければ、禁煙できる状態である。その段階で、ふらふらしているのが一番いい。しかし、喫煙を続けていると、10年、20年という単位であれば、ニコチン依存症になり、中毒になる。たばこが麻薬と呼ばれるのは、その中毒性に問題があるからである。禁断症状が現れるからである。だから、喫煙がそのふらふらしている状態であれば、簡単に止められるはずであるから、ぴたりと止めることを薦める。

 

 ドクターストップが掛ったり、何かの異常な症状が自分の体に出てきたとき、そして、それが、タバコとの因果関係が指摘されるような症状であれば、人は、そのとき、禁煙をする。病院ではすえないし、吸えば、病状が悪化することが分かるからである。その人も、止めざるを得ないはずである。まさしく、たばこをとるか、命をとるかという選択肢を突きつけられて、そのとき、たばこをとると言えるのは、それが末期状態である場合である。

 一番、禁煙が難しいのは、現実にさしたる病的な症状がなく、絶対に直ぐにでも禁煙をしなければならない、逼迫した状況にない場合である。そういう人は、たばこを止めようとしたことがない人である。しかし、たばこのパッケージに書いてあるように、喫煙は、体によくないことは、自覚している。心のどこかには、このまま喫煙を続けていてもいいのかという不安がくすぶっている。まだ、健康診断でも、たばことの因果関係が明確な病気の兆候がなければ、たばこを捨てる勇気など出てこない。禁煙に失敗する自分を見たくないから、あえて、禁煙しようとはしない。もちろん、長期間たばこを喫煙していたら、ニコチン中毒にかかっている。簡単には止められるものではない。人によっては激しい禁断症状が待ち受けている。

 

 1日目、3日目、1週間、ニコチンから離脱していく自分をみるのは楽しいものである。しかし、問題は、脳が喫煙を記憶しているから、吸いたくなるのである。ニコチン中毒、ニコチン依存に一度掛れば、一生、それから抜けられない。だから、一年も二年も禁煙していたのに、何かのストレスにまけて、一本、つい手を出してしまう。一本ぐらいだからいいだろうという気持ちが、禁煙の壁を崩壊させるのである。そう、禁煙を持続させるためには、たばこを吸ったときのマイナスの記憶を脳に覚えこませるしかないのである。病気なら、それはつよい禁煙の持続を高める要素になる。たばこをすったら、体がおかしくなるという嫌な記憶と連動されていればいいのである。医者が禁煙を持続できるのは、喫煙で犯された臓器、喫煙がどのように身体に悪い影響をあたえるか、それらの情報が、身近に感じられるからである。喫煙が悪いという強い洗脳が脳に植えつけられるからである。

 

 私は、喫煙と息が上がることをひとつのペアーとして考えた。タバコを吸うと、息が続かなくなる。逆に禁煙すると、息が上がらなくなる。だから、私は軽いジョギング(小走り)をした。禁煙をすると、消化がよくなる。多少太ってくる。だから、ジョギングが必要なのである。禁煙を持続していると、確かに、息が上がらなくなる。走ることがつらくなくなり、逆に、長時間、走れる自分に驚くことになる。私の場合には、禁煙と走ることを関連付けたのである。走り続けること、毎日、30分でも1時間でも、走れるのなら走ることである。それが、禁煙を持続することになる。なぜなら、タバコをすっていては、息が直ぐに上がって、走ることが苦痛になるからである。走る楽しさを感じ、それを記憶することなのである。そうすれば、タバコをすいたくなっても、その走る楽しさがまされば、たばこに手を出さなくなるからである。たばこをすうことで、何かのマイナスのイメージが出てくるか、たばこをすうと、何かのプラスのイメージが損なわれるか、そのどちらかのイメージの記憶がないと、なかなか禁煙の持続は難しいと感じる。

 

 

 

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このページは、中野満が2008年8月 7日 13:33に書いたブログ記事です。

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