私が法務大臣なら、同じように死神となり、死刑を執行する。
日本では、よほどのことがない限り、死刑にはならない。よほど、万死に値しない限り、裁判長は、死刑を下さない。人を人で裁くにはそれなりの厳格な注意義務が課せられている。法治国家である以上、目には目をでは執行しえない。構成要件を満たし、しかも違法性、責任と十分に吟味して、量刑を下すのである。それも、三審制をとっているので、死刑は、最高裁まで持ち込まれることになる。そして、よほどのことがない限り、今は死刑などおりない。死刑が下りるのは、それなりの事案なのである。
欧米の法の考え方は、正義である。失われたものが元にもどることを前提としている。同意がなくして、勝手に財産を持っていかれたら、それを取り返せである。だから、横田めぐみちゃんは、返せ、なのである。そして、その期間、こちらが損した分があれば、それを補えという考えである。そこに、同意があれば、何かしらの契約での同意があれば、それは法律行為であり、それは正義なのである。正義とは、お互いが同意し、お互いのそれぞれの変化がお互い望んだものなのである。それが正義なのである。犯人が、何の正当な理由もなく、人を殺した。違法性を認識し、責任能力があると認められた状態で、人を殺した。加害者は生きていて、被害者は死んでいる。これは正義ではない。正義とするためには、二つしかない。被害者を生き返らして、加害者と同じ立場にする。それか、加害者を殺して、被害者と同じ立場にする。これが、欧米でいう正義の考え方なのである。等価原理が正義の柱なのである。
この考え方だけで、物事を進めると、車で人をひき殺した。殺意があろうとなかろうと、被害者からみれば、車でひき殺されても、通り魔に刺されて殺されても、死んだ状態は同じである。正義での、被害者と加害者を等価状態(同じ状態)にするためには、車でひき殺されたのなら、その加害者も類似した車でひき殺さなければ、正義とならない。通り魔でさされたのなら、ロボットに刃物を持たせ、その加害者を同じようにして殺さなければ、同じにはならない。本来は、そうなるのが、筋であろうが、それでは、負の連鎖が止まらないはずである。
法の考え方を突き詰めると、人を殺した人は、正義により、殺される。つまり死刑となる。被害者と加害者をまったく対等の立場としてみれば、そういうことになる。しかし、殺すつもりなどなかった、そこに殺意はなく、うっかり、不注意で人を殺してしまった。過失致死である。死刑にはならない。昔は冤罪はあったかもしれない。しかし、今は、科学捜査である。DNA鑑定もあるし、デジタルネット通信網やGPS等で、簡単にアリバイは実証しやすくなった。そして、疑わしければ、罰せずの原理が今でも働いている。だから、裁判官がそれでも死刑を下すには、死刑を下す以外に道がない状態で下すはずである。
何でも、視点を個人に向ければ、人権や自由という無責任な個人のエゴにぶつかることとなる。加害者にも生きる権利がある、加害者にも人権がある。だから、死刑はあってはならないという考えである。個人がすべてである、まさしく、個人至上主義である。その人たちは、社会というものを無視している。社会の一員でありながら、その一員の個だけを主張し、連帯に必要な個の義務を放棄しているのである。それは、公の秩序なのである。それが正義なのである。
鳩山法務大臣は、仕事をしただけである。運転手が車を運転するのが仕事なら、それと同じように刑の執行にサインをしただけである。それを死神というのなら、人間、全員が死に神である。人間も命あるもの、動物も命あるもの、植物も命あるもの、外部からエネルギーを貰って、それを燃焼して生きている。それらはすべて、生きていることになる。我々は牛肉を食べる。豚を食べる。鶏を食べる。動物の肉を食べる。もちろん、ライオンや虎から見れば、人間も彼らから見ればおいしい肉であろう。牛使いの少年からみれば、友達の牛が殺され、それが食されるのをみるのは、しのびがたいはずである。食肉加工場は、まさに、動物の処刑場所である。人は、毎日、人間以外で食することができる動物を処刑している。動物愛護の人から見れば、彼らが愛護する動物には、人権があり、彼らが愛護しない動物には、人権がないといっているのと同じである。鯨も動物、牛も動物、そこに何の差別はないはずである。
昔から日本人は、食べ物を食するとき、いただきますといって、膳に頭を下げる。それは、穀物を作ったお百姓さんの苦労に感謝することと、人間に食される動物の肉を提供してくれる動物たちの命に対して、感謝の念をこめる点であった。ありがとうといわなければ、殺されて食される動物とそれを食べる人間との間の正義が成り立たないからである。死神といった人も、実は死神なのである。私も死神なのである。だから、私が法務大臣なら、死刑の執行にあたり、ご冥福を祈りますといって、その刑の執行を影ながら見守ることだろう。
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