2008年の8月6日、広島原爆1945年から63年が経過した。
1945年8月6日、午前8時15分と16分の境で、リトルボーイは、爆心地(島病院)上空約600mで、核分裂爆発を生じた。その一瞬で、すべてが吹き飛んだ。ぴかっと光った瞬間、熱線と爆風が、火の玉となって、広島を飲み込んだ。すべてが、1秒以内である。人間の意識の伝達する速度よりもはやく、高エネルギーの電磁波の力で、一瞬にして、人は消えた。爆心地に近い人ほど、熱で溶けて、爆風で、こなごなになって、広島の中に飛散した。
たぶん、爆心地に近い人は、あれっと思ったに違いない。確かに、B29のエノラゲイがリトルボーイを投下しても、何も起きない。そして、起爆が外れて、核分裂が起きて、大爆発が生じた。積んでいたのが約50kgのウラン235であり、その中で核分裂を起こしたのが1kg程度だと推定されている。爆心地に近い人の運命は、投下されて、爆発がおきるまでの四十数秒で、決まったのである。ぴかっとひかる。それが人の網膜を通して、その情報が脳に届くか届かないかうちに、衝撃波(爆風)と熱線と放射線が襲い掛かったはずである。爆心地にいた人は、何も感じることもなく、何が自分の身に起きたのかも分かることなく、消えたはずである。世の中に、人を一瞬にして消滅させるようなものは原爆以外にはない。人類が作ったものの中で、最大のものである。まさしく、流れ来る溶岩や鉄工所の高炉の中に人を突き落としたのと同じである。一瞬にして溶けてしまう。そのときも、高炉の溶けた鉄と接触した瞬間に意識は消えるはずである。しかし、実際は、それ以前から、気を失っている。
交通事故も同じである。私は学生時代に、一度ひかれそうになったことがある。なぜ、そうしたのかわからない、急いでいたから、信号無視をして、横断歩道をはしってわたろうとした。そんな記憶がある。もちろん、車がいないことを確認したはずである。飛び出したとたん、急に視界が狭くなった。そのときの感覚はいまでも克明に覚えている。なぜ、車がくるのか、俺はこれでひき殺される、それを強く感じた。そのとき、ぼーと意識がなくなるような気がした。そして、ボーンとあたってしまっていれば、そのとき、私は即死だったはずである。そのボーンという一瞬の音がどこかできこえていたら、それが今生のわかれであったろう。しかし、その音は聞こえなかったかわりに、時間が逆流するかのように、意識が直ぐにもどってきた。私は、横断歩道の真ん中で立ち止まっていて、すこし手前に車が止まっていた。まだ、距離はあった。
あのときも、そうだったはずである。爆心地に近い人は、その一瞬のうちに、オセロのように白が黒にひっくり返させられてしまった。当時は、戦時下である。無差別爆弾、無差別機銃を受けていた。それを直撃した人、つまり、即死したひとは、みな、同じように一瞬にして、死んでいったはずである。何がなんだか分かるまでもなく、何の準備もなく、そのまま、自分の存在をデリートさせられたのである。
問題は、爆心地から離れたところで被爆された人たちである。原爆の地獄はそこにあるのである。一瞬にして、なくなれば、まだいい、苦しむこともなく、何も感じることもなく、そのまま、消えてしまう。衝撃波も熱線(赤外線)も放射線も、エネルギーをもつ。だんだんと、物と相互作用をし、そのもつエネルギーが放出されれば、減衰していき、衝撃波も熱も弱まり、放射線もそとに拡散し、空間に分散することになる。
そして、激しいエネルギー(高温)を一気に放出したのであるから、激しい上昇気流をしょうじ、あのようなきのこ雲が生じた。巨大な積乱雲と同じである。井伏鱒二さんの小説、黒い雨である。激しい雨が降ったはずである。粉塵が舞いあがっているため、雨は黒色となる。そう、単なる黒い雨だったら、水で流せば、綺麗になるからいいのである。問題は、そこに放射能を浴びた粉塵が雨の核となって、人を二次感染させたのである。黒い雨、それは、放射能を帯びた恐ろしい雨なのである。
これは、地獄のはずである。熱線により皮膚が焼け焦がれ、そして、熱と爆風によって、体内の水分は取られていったはずである。だから、被爆した人が、口をそろえたように、水をください、水をください、と叫んだのである。極度の脱水症状と熱中症を起こしたからである。そして、だんだんと意識が消えていったはずである。そのときの、渇水は、激しかったであろう。そして、水をくださいといって、救援隊の人から水をもらった瞬間、ほとんどの人は、息がたえたはずである。そこで、意識がなくなればいい、その苦しみから解放されるわけであるから。しかし、そこで、生き残った人に、最後のとどめが襲いかかかる。黒い雨である。たとえ、黒い雨でも、ほてった体を覚ましてくれる。被爆された方は黒い雨を恵みの雨とおもっただろう、しかし、この雨がまた生死を分けた雨になったのも事実である。普通の雨ではなく、放射能に強く汚染された黒い雨だったのである。
私には、63年の時空間を越えて、その叫びが聞こえるようである。故、福永武彦さんの長編、「死の島」は、原爆を扱った小説では、最高傑作である。福永さんにとって、「ひろしま」は、まさしく、「しのしま」なのである。世の中とは恐ろしいものである。63年前のあの一瞬が、今でも、被爆した人の心と体を傷つけている。もう、どうすることもできないはずなのに、もう、どうにもならないとわかっているのに、原子力の平和利用を考えるならわかるのだが、原子爆弾を作ろうとする人たちがいる。
広島の爆心地をさまよい、広島の心を考えた人がいれば、やはり、毎年の8月6日は、それなりの日になってしまう。きっと、核分裂が起きる寸前には、ひろしまにも、赤いさるすべりの花やムラサキのむくげの花が咲いていたはずである。あと、9日で、終戦だったのである。アメリカの論理では、広島や長崎で被爆された人が日本を救ったことになる。その代償はあまりに大きくあまりに哀しすぎる。8月6日は、広島の方に向かって合掌する。8月9日は、長崎に向かって合掌する。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 2008年の8月6日、広島原爆1945年から63年が経過した。
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.nano3000.com/cgi-bin/movabletype/mt-tb.cgi/431

コメントする