山本昌投手、最後の200勝投手になるだろう。立派である。
山本昌投手(山本 昌広選手)ずっと、気になっていた選手である。毎年、山本昌投手は、どうなったのか、気になっていた。私は特に野球が好きというわけでもないし、サッカーがあれば、サッカーを見、何気なく、テレビで野球中継があれば、それを見る程度のごく一般的な人間である。病院の待合室や散髪屋にスポーツ新聞があれば、暇つぶしに、野球の細部を眺める程度である。もちろん、関西に住んでいるので、やはり、阪神タイガースの関連情報は入ってくる。私は、阪神タイガースに関心があるのではなく、昔から、人間、岡田監督に興味があったのである。それと同じように、なぜか、中日の山本昌投手は、気になる一人であった。昨年から、200勝には、カウントダウンされていたから、200勝に対しては注目していた。しかし、昨年は2勝しかあげられなかった。そのとき、1985年に引退したヤクルトの松岡弘投手のことを思い出した。190勝、あと200勝まで、10勝だったのが、1983年のオフである。1983年も11勝をあげ、年齢も35歳だったのである。しかし、1983年のオフに首を痛めたのが原因で、その後、1984年は1勝しかあげられず、1985年は、8試合なげ、零勝2敗で、191勝で、現役引退をした選手がいたのである。
松岡選手のことが頭にあった。だから、年齢的にみて、後7勝は、厳しいかなと感じていたのである。42歳、プロの世界で、一勝上げることも難しいはずである。それも、昨年2勝しかできなかったものを、今年は、この時点で、7勝を上げ、200勝投手となったのである。この山本昌選手に関しては、ずっと、注目をしていた。これで、200勝投手となって、山本昌選手も、ほっとしているだろう。これで、私も山本昌選手の勝敗で、一喜一憂する必要がなくなった。もはや、野球界の中で、関心を持つ選手がいなくなった。それにしても、山本昌選手は、すべての最年長記録を塗り変えたのである。2006年(41歳)9月16日、ノーヒットノーラン達成(日本最年長記録)、セリーグ最年長セーブ、セリーグ最年長完封勝利、41歳、そして、昨日、最年長200勝達成、42歳11ヶ月、おまけに、セリーグ最年長完投勝利まで、つけたのである。これで、名球会に参加する資格を有したことになる。名球会は、任意団体などで、それに参加を認められたからどうなるものでもないが、しかし、山本昌投手がそのなかに、加えられるでも、彼の偉業がどれだけのものであるかが分かるはずである。勝利として、通算200勝以上、セーブとして、通算250セーブ以上、野手として、通算2000本安打以上、なのである。つまり、通算199勝し、しかも通算249セーブをした投手がいたとしても、名球会には、参加資格を有しないのである。それがどうしたといわれれば、それまでだが、200勝がひとつの区切りであれば、200勝を達成した選手、最近では、工藤投手(2004年8月17日)と山本昌投手しかいないのである。それと、191勝で引退した松岡投手では、雲泥の差があるのである。後、9勝が出来ずに、200勝に手が届かなかった松岡投手の無念さは、相当なものであったろうと想像できる。
山本昌投手を見ていると、徳川家康をふと思い出す。こつこつとやってきたことが身になることの証でもある。山本昌投手は、けっして、エリートではない。1984年に日大藤沢高校からドラフト5位で中日に入団する。山本昌投手は、泣かず飛ばずの状態から、1988年にアメリカ留学を命じられて、そこで、シンカー(スクリューボール)を取得することになる。人の運など分からないものである。ひょんなきっかけで、大きく成長することもある。それで、プロ野球の投手として、何とか一軍の舞台に立つことが出来たのである。しかし、山本昌投手は、中日でもトップスターではなかった。今中投手や野口投手や川上投手のようなトップ選手の陰に隠れていた。いつも、こつこつと投げ続け、そうして、積み重ねた結果が200勝なのである。ローテーションがきちんと組まれ、その上で、野手のバッティング技術も向上したために、投手としてはスピードボールや過度の変化球が要求される世界である。野球選手、特に投手は、体力と精神力の鍛錬が要求される。今、全盛のガルビッシュ君にしても、楽天のマー君にしても、この精神状態を10年続けることは難しいはずである。毎年、15勝をあげても、10年では150勝しかいかないのである。この通算150勝から通算200勝を超えるまでが、長く険しい道のりになるはずである。ここからが、重たきものを背負って、じっと坂道を登る心境になるのである。まさしく、徳川家康が天下をとるため、じっと、豊臣秀吉が、物欲と色欲で、体が腐るのを、まったのと同じである。先に死んだほうが、負けだと、家康は考えたのである。だから、秀吉が遊興にはまるのと裏腹に、家康は精進を重ねたのである。そして、大阪冬の陣、夏の陣と仕掛けていき、豊臣家を見事つぶしたのである。山本昌投手は、鍛錬したはずである。そして、時代時代に彼より上にいた投手がこけていくのを見ていたのである。能力は、彼らの方が上である。しかし、長く投げ続けるのもまたひとつの能力である。その能力は、結局長く投げ続けるという実績がすべてである。42歳、もうすぐ、43歳、それで、現役の一軍のマウンドで勝利をつかむ。継続は力の証明である。結局、山本昌投手には、力があったのである。
西武から巨人、横浜といった工藤投手は、どちらかといえば、エースという看板が似合うが、山本昌投手には、エースという看板は似合わない。いつも、あの独特のフォームからこつこつと投げ下ろしていく感じがする。そう、苦労人という印象がする。その苦労人がつかんだ大きな200勝である。その後に続くのは、155勝の西武の西口投手である。もう、35歳である。後45勝を35歳以降であげるのは、実際には、後100勝あげるのと同じ感覚になるはずである。今のプロ野球の技術の場で、35歳以降で100勝を上げることは、不可能に違いない。山本昌投手の次に200勝投手が、いつでてくるのか、たぶん、出てこないような感じもする。
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