洞爺湖サミットで、美しい秩序は回復するかな?
63年前、沖縄では、激しい銃弾戦があり、東京や主要都市では、無差別空襲があり、広島、長崎では原子爆弾が投下され、多くの人の命が失われた。戦時中であれば、日本人としての被害の立場もあれば、日本人としての加害の立場もあり、その場合は、他国の人の命が失われた。いずれにしても、63年前は、戦時下であり、そこになんの秩序もなかった。本土における制空権を取られてからは、日本人は、上からの爆弾や銃弾に対してはただ逃げ迷うか、防空壕に身を潜めて、その危険が去るのを待つしかなかった。それ以前であったとしても、日本は戦時体制をとっていたため、軍事一色であった。そこに、いじめや虐待や暴行や強姦や自殺や殺人があったとしても、それは、国家総動員法のもと、すべては、戦争遂行の名目の下、闇に葬られていた場合もあったはずである。
人は、わけがわからなく、うまれてくる。地中から芽がでる植物のように、何かのきっかけで生まれる。真っ白な状態である。そして、自分と外部との関係を知るようになる。同じ遺伝子をもった人でも、その環境が変われば、生き様も変わってくる。貧しい農村に生まれ、どこかに人身売買されることもあったろう。出稼ぎで、大きなお屋敷の女中になったひともいるだろう。そこで、いじめや虐待や暴行や強姦があったとしても、どこかで表に出ず、闇として葬られた場合があるはずである。まさしく、恨みを晴らせず、無残に殺された人もいるはずである。横恋慕し、嫌がる人を強姦し殺害する事件が今日でもあることから、昔はもっとそんな事件が多発していたはずである。必殺仕事人のような家業が実際にあったかは分からないが、程度を超えたものに対しては、闇からの報復はあったかもしれない。
今も昔も人は変わらない。社会の構図は変わっても、人間と人間との関係は変わらない。男と女の関係も変わらない。生殖がなければ、子孫はうまれない。家や家系を絶やさないためにも、生殖行為は今も昔も同じである。それに対しては、人の感情の動きはそれほど変化がないため、愛憎離苦は繰り返されたはずである。人が勝手に己のわがままを通せば、秩序が壊れる。だれもが、そこに美しい秩序を求めたはずである。人は生まれ、人はいずれ死ぬ。何故だか分からないが、自分というものをどこかで意識する。そして、回りには、自分と同じような人間がいることが分かる。年齢を重ねると、どうしてだか、エゴが出てくる。支配欲がでてくる。権力欲が出てくる。そして、葛藤が出てくる。それが、個人レベルで生じるなら、その集合体の国家でも同じようなことがでてくる。もちろん、国家には秩序が要求される。それが法律である。しかし、それも完璧でない。それでも、いざこざが生じる。どうすることもできない。
地球温暖化もその一例であるし、原油穀物高騰もその一例である。みんなが好き勝手なことが、許されるとは思っていない。しかし、現実的には、自由という名で、好き勝手なことをおこなっている。その根源を見つめると、それは、人の強いエゴから生まれていることがわかる。儲かりたい、権力を持ちたい、それは人の欲望である。今問題になっているのは、一つ一つ、一人一人の欲望が、連鎖反応を起こし、地球規模に拡大しているからである。それも、高性能のコンピューターを使って、ネットワーク上に、一人一人の欲望が乗ってきて複合的に重なっているからである。ネットワークや高性能のコンピューターには、感情はのらない。ただし、いつ、どこで、何をしたか、そのインプットをどのように決定するのかは、人間の作業だからである。だから、学校裏サイトのようなもので、友情という錯覚で結ばれていた友達から、激しい罵倒の記事の書き込みをみれば、純真で感受性の強い人なら、対人恐怖に陥り、最悪は、自殺する場合もでてくるのである。
この世は水のようなものである。そこにたくさんの人のエゴが潜伏しているようなものである。それを激しく、振動させれば、どうなるか、ぶくぶく泡がでる。それが、高性能高速PCネットワーク空間でつながった社会の縮図なのであり、そのぶくぶく発生する泡こそが、人のエゴそのものである。それを抑えるためには、内圧を掛けなければいけない。掛けすぎれば、窮屈になるし、掛けなければ、乱れて泡がでることになる。ほどよい内圧こそ、俗にいう1/fなのである。それが、本来もとめる美しい秩序なのである。
洞爺湖サミットで、何が話されどうなるか分からない。しかし、程よい内圧、美しい秩序を回復させなければ、社会は疲弊するはずである。第二次大戦は、それを抑えられなかった。問題は、福田首相に、その美しい秩序への感覚があるかどうかである。日本人がもとめたのは、美しい秩序であったはずである。秩序だけではなく、たんなる美しさだけでもなく、それは、美しい秩序であったはずである。それが、きっと宇宙の秩序でもあるはずである。自由を抑圧しすぎても、社会は疲弊する。もちろん、抑圧を掛けなければ、内部のエネルギーで、乱れて、崩壊する。ネットワーク空間で、人のエゴが密集し、ある意味飽和を超えている。少し抑えさえすれば、そこに本来の美しい秩序は回復するはずである。
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