三橋歌織被告、精神鑑定、心神耗弱 心神喪失なのかな?すべては藪の中
三橋裕輔さんを殺害し、遺体をばらばらに切断し捨てたことで、殺人罪に問われたその妻三橋歌織被告での公判で、弁護側、検事側での精神鑑定の結果が3月12日東京地裁で報告された。双方とも、心神喪失か心神耗弱状態であったと述べたのである。裁判所が、責任能力を問える状態ではないと判断すれば、一審では無罪になる可能性が出てきたのである。確かに、罪を問えるのは、構成要件を満たし、その違法性があり、しかも、責任能力があることなのである。殺人という刑法の条文はみたし、その殺人という違法性は結果からみて明らかである。問題は責任能力なのである。刑法の39条には、しっかりと、心神喪失者の行為は罰しない、二項には心神耗弱者の行為は、その刑を減軽すると書いてあるのである。たしかに、麻薬患者やアルコール酩酊者が殺人を犯しても、その殺人を犯す行為の前の行為に自らの意思が働く場合には、結果責任に対して責任を問えるのである。原因において自由な行為が認められるからである。もし、強制的に、自分の意思に関わらず、麻薬を打たれ、その結果、何かの事件を行っても、そこに、責任能力は認められない。その麻薬を打った人こそ、その犯罪の共同正犯として、処罰されるはずである。どのような、理屈が成り立つかわからないが、法律とは、ある意味、常識が勝つ世界で、悪いことをやった奴は、それなりの報いを受けなさいということなのである。
三橋歌織被告の場合、殺人を犯し、遺体をばらばらに切断し、遺棄した行為時点で、心神喪失か心神耗弱状態だったかが、今後の争点なのである。常識で考えて、罪を問える状態かどうかなのである。当然に、結果だけをみたら、旦那を殺し、その遺体をばらばらにし、遺棄したのであるから、相当きつい処罰を受けるのがあたりまえだろうということなのである。後は、その結果に対して、どういう原因でそうなったのか、どういう状態に三橋歌織被告は犯行時いたのかなのである。それによって、人の主観は変わってくるのである。責任能力の軽減が発生するのである。その責任能力もなかったと判断されれば、無罪になるのである。
三橋歌織被告は、公判で始めて幻覚体験があると話しているのである。弁護人にも警察にも一切そのことを言っていないのである。裁判長がなぜ、そのことを言わなかったのですかと問いかけると、「警察に話したら『罪の意識があるからそう見えただけ』と言われ、うそや錯覚だと怒られるだけだった。変なやつと思われたくなくて、弁護人にも話さなかった」と述べているのである。精神鑑定では、歌織被告の精神状態がどんなものかをまず分析しなければならない。過去の生い立ち、その中で、どんなことを感じたか、それも鑑定では重要な資料になるのである。幻覚症状があったということは、そういう心神耗弱状態にもなりうる可能性を示唆する情報なのである。
ここからは、非常に難しい問題になるのである。精神の状態は、あくまで、個人の感覚の問題なのである。幻覚症状も、あくまで主観的なものである。ある人が、何かをみる。視覚である。ある人も何かをみる。そのものが、まったく同じであるという根拠はなにもないのである。私が赤を見て、赤だと感じる。別の人もそれをみる。同じ赤だと、断定できないのである。大まかに赤だと分かるが、その細部でどんな赤の違いがあるかなど、分からないのである。精神鑑定も、基本的に、そのあやうさをつねに持っているのである。客観的なもので数値化しようとしても、その測り方や測る装置でも若干異なるのである。同一の装置で同一の条件で測っても、違う因子が入れば、それで狂う可能性もあるのである。
心の問題は、より定性的になる。松本清張風に考えれば、幻覚症状も作りだすことができるのである。心の問題である。こういう状態が、あれば、こうなるというマニュアルがある。色々な多岐にわたる質問の中で、これだけ該当数があれば、こういう可能性があるといえるのである。たぶん、それしかいえないのである。精神鑑定のあやうさは、客観的な数値化が出来ないことなのである。あくまで、話しての話と、そのときの受けての感じたものが、基本になるのである。女優は、迫真の演技をする。殺人者の役をやれば、誰でもが殺人者になりきっていると感じる。精神鑑定を受けて、心神耗弱と判断されるような演技をしろといえば、女優はやり通すだろう。生い立ちから、その犯行時の心の状態を考え、あまつさえ、精神鑑定で、心神耗弱だと思わせるようにするにはどうしたらいいかをも考慮して演技をするだろう。それは演技だとわかっているから、いいのである。もし、相手が女優で演技していると分からなければ、それが嘘か本当か分からないのである。あなたは嘘をいっているといえる客観的な証拠がないからである。それは、すべて、話しての心の中にあるからである。
それを、嘘だとはいわない。仮に本当だとしても、その本人の中ではいくらでも変わるからである。幻覚だと思わなければ、幻覚にならないのである。私でも昔、夜、車のライト付近にうずくまる少年の姿を見たことがある。それは幻覚なのである。あれと思って見直したら、少年などいるわけはないのである。そのとき、あっこの車は、少年をはねたな、それか、この車は少年をいつかはねるなと、感じたのである。それは幻覚だった。しかし、それはそういうことも世の中にはあると思った瞬間に幻覚でなくなったのである。
河本雅也裁判長は大変である。法律には、心神喪失者は罪をとえないと書いてあるのである。今回の精神鑑定は、最低でも心神耗弱であったといっている。殺人の最高刑は死刑である。心神喪失であれば無罪である。心の中は、藪の中、疑ったら、きりがない。疑わしければ罰せずになるのかどうかである。たぶん、最後は、裁判長の感性で、何が真実か、どんな心模様だったかを感じとってもらうしかないのである。それで、量刑が下るはずである。河本裁判長はきっと大変である。
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